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6/1のページ 公用分例略記研究会
『触の五』2校 1ページから10
今回は、『触の五』2次校正の第1回目です。
<ご指摘により修正する事項>
(1)3ページ、3行目…「…参り節…」の「り」と「節」の間に(「候」)を挿入し、右側に小さなフォントで「(脱カ)」を挿入する。
*記載漏れです。「参り節」は文法的に誤りです。「参り候」と「候」を入れるのが、文法的には正しく、自然な読み方です。
(2)6ページ、3行目…「信洲」の「洲」を「州」に修正。
*解読の誤りです。
(3)6ページ、4行目…「…無財…」の「財」を「代」に修正。
*解読の誤りです。
(4)7ページ、1行目…「…不宣…」の「宣」を「宜」に修正。
*解読の誤りです。
(5)7ページ、3行目…「…道案内…」の「道」と「案」の間に「御」を挿入。
*解読漏れです。
(6)7ページ、後ろから7行目…「…無間茂…」の「茂」を「も」に修正。
*該当箇所の「茂」は助詞の「茂(も)」ではなく、変体かなの「も」です。「無間も…まもなく」という読み方と意味になります。

(7)8ページ、1行目…「…不宣…」の「宣」を「宜」に修正。
*解読の誤りです。
(8)8ページ、後ろから2行目…「京地…」の「地」を「他」に修正。
*解読の誤りです。

(9)10ページ、後ろから3行目…「古弐金」の「弐」と「金」の間に「朱」を挿入。
*解読漏れです。
<修正が不必要と判断した事項>
(1)4ページ、8行目…「見請」の「請」の右側に小さなフォントで「(受)」を挿入。
*現在は「請」と「受」は意味が違う使用が成されていますが、江戸時代は「請」も「受」も同様の意味で使われていました。従って同じ単語でも場所によって、「請」と書かれたり「受」と書かれたりすることが良くあります。「請印」と「受印」、「請書」と「受書」等々、これまで多数の例があります。従って、誤った意味で解釈する恐れもないと考えますので、このままにしておきます。
(2)6ページ、3行目…「秋和村」の「和」を「船」に修正し、「船」の右側に小さなフォントで「和」を挿入。
*船のくずしにも似ていますが、「和」のくずしの許容範囲と考えます。従ってそのままにします。

(3)7ページ、8行目…「無間茂江川様」のうち、「茂」を小さなフォントで右側に移動。
*上記(6)を参照ください。
(4)9ページ、4行目…「悪党」の 「党」を「堂」に修正し、右に小さなフォントで(党)と挿入。
*「堂」のくずしにも似ていますが、「党」のくずしの許容範囲と考えます。従ってそのままにします。

<質問>
(1)3ページ、6行目…「附~~」について。7・8行目の原文書は「附」と同じ高さになっているが・・・
*『触の五』から記載者が代わったようです。くずし字も解読しにくくなっています。文章の記載の方法も、意識していないようです。これまで、「附」は一文字下げ、「附」につながる文章は、一文字空けて記載するという形式でとおしてきました。その原則で今後も解読記載していきたいと考えます。
(2)「様」と「殿」 の違いについて。以前 どこかで 勉強したように思うのですが 思い出せません。
・3ページ、1行目 「水戸様」
・3ページ、後ろから5行目 「水戸様」
・4ページ、2行目「水戸殿」
*『訴の六』3校97ページから120ページの<質問に答えて>に次のような記載があります。
「御奉行所」には「様」を付けないのか。
*「奉行所」「代官所」等の組織名には、「様」とか「殿」を付けないようです。「奉行」「代官」「沢木勇之進」等の役職名や個人名には、「御奉行様」「御代官様」「沢木勇之進殿・様」と、「殿・様」を付けるようです。上下関係の違いにより区別しているようです。私のこれまでの経験では、村方文書では武士に対しては当然「様」が使用されています。寺院や僧侶に対しても「様」が使用されています。百姓同士(村役人も含む)は「殿」が使用されています。
例外があるかも知れませんが、その場合は御容赦ください。
*「様」「殿」の使い方は時代によって変化してきたようです。長くなりますので、江戸時代だけ記載します。(以下あるホームページより引用)
「室町時代や江戸時代まで遡りますが、「殿」とは、家臣をもつ身分の者への敬称です。将軍は「上様」や「公方様」などで表すように、「殿」ではなく「様」を使います。将軍殿とはいいません。
将軍は家臣に対し「殿」を使い、家臣は将軍に対し「様」を使います。要するに、身分の上のものが下の者に対し「殿」を使い、身分の下のものが上の者に対し「様」を使います。この頃から、すでに「殿」よりも「様」の方が、敬称としては上だったことが分かります。」
目録の3ページ、1行目には、「水戸様」と「様」を使用していても、本文の16ページには「殿」と記載されています。
目録の3ページ、後ろから5行目には 「水戸様」と記載されていますが、本文の19ページには「水戸」の言葉が使用されていません。
目録の4ページ、2行目には「水戸殿」と「殿」と使用されていて、本文の22ページにも「殿」と記載されています。
*要するに規則性がありません。記載者の気分で「殿」と「様」を書いているとしか考えられません。
(3)6ページ、4行目 「漆苗百万本無代にて差出相州へ植付御触」について。100万本も用意し信州から相州へそれも無償でなんてひどすぎます。これは普通の事なのでしょうか?
*百姓仁右衛門がどのような人か分かりません。おそらく豪農だったと思います。漆苗百万本の費用がどれくらいなのかも分かりません。下田半兵衛も村や幕府に相当の寄附や貢献ををしていたことは、『訴の巻』で見てきました。一般的に役所や村人たちから反感を持たれないために、このようなことをするのは良くあったことなのではないかと推測します。具体的には調べたことがないので、分かりません。それによって、「苗字帯刀」を許されるとか、他の利権を手に入れるとかがあったのではないでしょうか。村人の反感も弱くなり「打ちこわし」の対象にもなりにくくなります。現代も同じだと思います。パーティ券の購入や政治献金をするのは、それをしても後で会社や自己への見返りが、直接的・間接的に大きいからではないですか。仁右衛門にも、なんらかの利益になって返ってくるものがあったのではないでしょうか。いつの世も同じです。穿った見方でしょうか。私のひがみでしょうか。あくまでも私の推測です。
(4)7ページ、後から7行目…「無間茂」の読み・意味をお願いします。
*上記(6)を参照ください。