3/30のページ  公用分例略記研究会

ご指摘いただいた修正事項(1) 

 お忙しい中、何人かの方々から、ご指摘をお送りいただきました。ご指摘いただいた中から、加除修正を行いたいと思った箇所を掲載致します。皆様のお考えをお聞かせください。ご指摘をお送りくださった方には、個別にお返事をさし上げましたが、その後私の考えが変わった内容がありますので、ご了解ください。
 なお、下記事項以外にも、多数のご指摘をいただきました。私自身は加除修正が必要ないと思いましたが、それらの事項についても、皆さんのお考えをお聞きしたいと思っています。まだ整理できていませんので、後日整理が済み次第、ホームページに掲載します。ご了解ください。
<加除修正を行いたい箇所>
Ⅰ 「凡例」の以下の2箇所を変更する。
(1)1箇所目
<元文書>
一、漢字の旧字体は、固有名詞(寺社名や人名等)などの特別な場合を除いて新字体に改める。特に常用漢字に相当する漢字は、新字体を使用する。
<修正文書>
一、原則として常用漢字新字体を使用する。

<修正理由>
 以下のご指摘をいただきました。
「個人名は凡例によれば旧漢字を生かすと理解したが「傳」「會」「濵」「靏」「邊」など新字体になっている。「冨」の字も個人名なので、ワ冠の方がいいのかなと思う。」

*「凡例」による原則は、固有名詞はそのままの字体を残すということですが、悩むところです。実は、「訴の九」にも「序」が書かれています。その中では、富潤の「とみ」はウ冠の「富」で書かれています。このように、当時は字体を明確に意識して書いていたわけではないと思っています。書く人の傾向や癖、気分次第なのではないかと推測しています。従って「とみ」については、常用漢字新字体「富」にしました。
 その他の固有名詞に使われている漢字については、悩むところですが、個別に判断するしかないと思っています。ただ、特に農民・町人や下級武士の名前の表記で、一般的に見られることは、字体に拘りがないということです。同一人の「傳兵衛」が別の場所では「伝兵衛」と記載されたり、「渡邊市右衛門」が別の場所では「渡辺市右衛門」と記載されている場合があります。また、同一の人ですが、「次左衛門」が「治左衛門」になっていることもあります。私は村方文書(地方文書)しか読んでいないので、他の武家文書・寺社文書・町方文書の表記については分かりません。村方文書を読んだ限りにおいては、その時文書を書いた人の傾向や気分次第ではないかと思っています。従って、特に有名な人物や寺院等の固有名詞で、一般的にこだわりのある文字が使われてきた文字以外は、常用漢字新字体を使うようにしました。
 以上のような考えで、これまで判断してきましたが、悩むことが多くありました。そこで、この機会に、他の書籍の凡例を調べて見ました。
 『田無市史 史料編』では、「字体は原則として、当用漢字を使用した。」とのみ書かれており、固有名詞の表記には触れていません。
 また、『小平市史史料集』では、「原文の活字化に当たっては基本的に常用漢字を用い、常用漢字に無い活字は正字体を用いた。異体字・俗字等もこれにならった。…」とのみ書かれており、固有名詞の表記には触れていません。
 このような例から考えると、原則は「常用漢字新字体を使用する」ことにして、凡例では固有名詞の表記に触れず、特に拘りのある固有名詞の文字は、個別に判断して、旧字を残すかどうかの判断をした方が、今後悩むことが少なくなると考えました。
 別の方法としては、凡例に「固有名詞は原本の表記とする。」という文章を入れることも考えられます。この方が、そのままの文字を表記すれば良いのですから、悩まなくて済むのですが、当時の実態には合わず、読む人も混乱するのではないかと思います。例えば、「訴の一」では「冨潤」、「訴の九」では「富潤」と表記されていた場合は、読者は混乱することでしょう。当時の人にとっては、「冨広」「富広」、「傳右衛門」「伝右衛門」等、どちらも間違いではなかったのでしょう。そうであるならば、現代の読者に分かりやすくするために、特に拘りのない固有名詞は、「原則として常用漢字新字体を使用する。」のが良いのではないかと考えます。
 皆さんのお考えをお聞かせください。

(2)2箇所目
<元文書>
一、異体字は、常用漢字を中心とした新字体に改める。例外的に次の漢字は異体字のまま使用する。
      邨←→村 邑←→村 麁←→麤 旹←→時
      抔←→等 尓←→爾 并←→並 挊←→稼
<修正文書>
一、異体字は、常用漢字を中心とした新字体に改める。例外的に次の漢字は異体字のまま使用する。
    并(並)   抔(等)   悴(倅)   躰(体)
    扣(控)   麁(麤)    尓(爾)
<修正理由>
 私が、『公用分例略記』全巻を一通り読んで出てきた漢字のみを具体例として記載しました。抜けている漢字があるかも知れませんが、出てきていない字を記載しても、意味がないと考えました。
 なお、「悴」は「倅」の誤用ですが、慣用的に広く用いられてきたので、そのまま使用したいことを、以前の会でお話ししました。今回は、もう一つの漢字「躰」は「躰」のままに使用したいということを、提案します。「訴の一」には記載されていませんが、「訴の二」以降は、多数記載されています。
 「躰」は「体」の俗字ということで、これまで全部「体」に直して解読・記載してきました。ただ、『公用文例略記』のみならず、多くの古文書では、「躰」は「躰」記載が多いようです。解読文の文字がどのようになっているか、ネットだけですが調べて見ました。その結果、「躰」は「躰」のまま解読文字として、記載しているのがほとんどです。『田無市史 史料集』でも、「体」は「体」、「躰」は「躰」と解読しています。「躰」も「慣用的に広く用いられてきた」として、「せがれ」の「悴」と同じ扱いにして、「躰」は「躰」と記載したいと思いますが、いかがでしょうか。参考までに「躰」が使われる言葉とその意味を次に掲載します。
*参考
【躰・体】(てい)様子。姿。ありさま。~のような。「右躰之始末」→右のような結果。「人足躰」→人足ふう。
【一躰(体・體)】(いったい)「いってい」とも。①そもそも。もともと。元来。「一躰病身者ニ而」→そもそも病気の身なので。   「此者一躰常々身持不宜候間」→この者はもともと常日頃品行がよくないので。 ②全体。おしなべて。「一躰在方之風俗近来奢侈に押し移り」→おしなべて村人のみなりが最近奢侈になって。「御料私領一躰ニ而」→幕領も私領も全体で。③同類。同じもの。全体がまとまっていること。「惣而一躰之儀ニ付」→すべて同じことなので。「上下一躰」→全員まとまり。
  『古文書用語辞典」(新人物往来社)より

Ⅱ p14 後ろから3行目 「三口」の下に「町奉」を挿入します。
Ⅲ p29 後ろから5行目 「相手」を、三文字分下げることにします。
Ⅳ p30 前から9行目 被召出→被□召出 「被」と「召出」の間を一文字分空けます。
Ⅴ 以下の箇所を、分かりやすさと他との統一性を図るため、一文字分空けます。
  p68 前から7行目  同長右衛門分家→同 長右衛門分家
  p69 前から4行目  同嘉兵衛分家→同 嘉兵衛分家
  p70 前から8行目  同宇右衛門分家→同 宇右衛門分家
Ⅵ p69 後ろから3行目  位置関係がおかしいので、「持宝院」を二文字分下げます。
Ⅶ p79  下田半次郎、石川藤吉、新倉勘蔵を、隣ののページと段差が生じていますので、一文字下げます。
Ⅷ p57 後ろから3行目・後ろから1行目、p60 前から1行目に、「玄節」の「節」の右側に(雪)を挿入します。
  p6 前から7行目 「玄雪」の「雪」の右側に(節)を挿入します。
<挿入理由>
 今も「玄雪」「玄節」の両方が混在して記載されています。田無市史では「玄雪」、田無神社鳥居脇にある「史跡 賀陽玄節邸跡」の看板等では、「玄節」と記載されています。(下の写真参照)私は、最初は右側に(雪)と記載することは、「玄節」が間違いではないかというイメージを読者に与えかねないので、そのままにしておきたいと思いました。その後、目録では「玄雪」になっていることに気がつきました。そこで、目録記載の「玄雪」の右側に「節」を挿入することにより、どちらの字もあり得ると、読者に判断いただけるのではないかと考え、挿入することにしました。皆さんのお考えをお聞かせください。

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