/14のページ  公用分例略記研究会

『訴の八』3校  79ページから104ページ 奥付

 3校の第4回校正にご協力いただき、ありがとうございました。

<ご指摘により修正する事項>
Ⅰ 文字の修正や挿入
*今週はありません。

Ⅱ 文字や文章の位置修正
(1)82ページ、後ろから5行目…「太郎右衛門」を一文字分下げる。
*82ページの「仁左衛門」「次郎兵衛」「下田半兵衛」の位置と揃えます。
(2)84ページ、後ろから5行目と後ろから2行目…「名主」を一文字分下げ、「組頭」を一文字分下げる。
*可能限り原文書の位置に近づけます。
(3)91ページ、3行目…「名主」を三文字分下げる。
*可能限り原文書の位置に近づけます。

 

<修正が不必要と判断した事項>
*今週はありません。

 

<ご質問に答えて>
*今週はありません。

 

<参考資料>
         尾張中納言様御遠行 被遊当村迄被為 入候」…どんな意味?
 時間に余裕がある時に、『訴の一』から「読み下し」や「文意」をまとめ始めました。遅々として先に進みませんが、関係することを調べながら、意味を考えています。その中で、とんでもない考え違いをしていたことに気がつきました。
 『訴の一』9ページ、後ろから6行目から5行目にかけて、次のような文章があります。
「同十二年卯年六月五日 尾張中納言様御遠行 被遊当村迄被為 入候」
 私は、この文章の文意を、これまで次のように考えていました。
「元禄12(1699)年に、尾張中納言様が遠方まで出かけられ、当村(田無村)にもいらっしゃいました。」
 この時の尾張中納言は、誰のことか調べました。「尾張徳川家三代当主、徳川綱誠(とくがわ・つななり)」のことでした。さらに、調べると徳川綱誠は、「元禄12年(1699)6月5日享年48歳で、市ヶ谷屋敷において死去する」と記載されています。
 死去したと記載されている同年同日に、田無村に来たと記載されているのは誤りかと考えました。反対に、ネットの情報が誤りではないかとも考えました。念の為に、「遠行」の意味を調べました。(下記参照)
 「遠行」は「えんこう」あるいは「えんぎょう」と読むようです。「えんこう」には「遠方へ行くこと」という意味があります。ただ「えんこう」「えんぎょう」の両者の読み方で共通している意味に「死ぬこと」があります。これで、疑問が半分解けました。
「同十二年卯年六月五日 尾張中納言様御遠行 被遊…」の意味は「元禄12(1699)年に、尾張中納言様(尾張徳川家三代当主、徳川綱誠)がお亡くなりになりました」ということだったのです。

【遠行】(えんこう)①遠方へ行くこと。遠出。遠征。多く旅に出たり戦いに行く場合に用いる。②死ぬこと。遠逝えんせい。長逝ちょうせい。えんぎょう。③流罪を婉曲に言う語。(『精選版日本国語辞典』小学館
【遠行】(えんぎょう)死ぬこと。えんこう。(『精選版日本国語辞典』小学館
【遠行】(えんこう)①遠くへ行くこと。②死ぬこと。遠逝(えんせい。)(『広辞苑 第七版』岩波書店

 残りの疑問は「当村迄被為 入候」の解釈です。「入(いる)」の意味を調べました。
【入】(いる)心、目、耳などの知覚に取り入れられる。また、知覚できる範囲にはいる。(『精選版日本国語辞典』小学館
 「当村迄被為 入候」「当村まで耳に入ってきました」という文意になります。

 従って、「同十二年卯年六月五日 尾張中納言様御遠行 被遊…当村迄被為 入候」の文意は、「元禄12(1699)年に、尾張中納言様(尾張徳川家三代当主、徳川綱誠)がお亡くなりになったことが、当村まで伝わってきました」ということだったのです。

 最初に思い込んでいた文意、「元禄12(1699)年に、尾張中納言様が遠方まで出かけられ、当村(田無村)にもいらっしゃいました」とは、まったく違う文意でした。
 特に現在ほとんど使用されていない言葉は、一つ一つ丁寧に調べていく必要性を、改めて感じました。