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5/7のページ 公用分例略記研究会
『訴の八』3校 53ページから78ページ
3校の第3回校正にご協力いただき、ありがとうございました。
<ご指摘により修正する事項>
Ⅰ 文字の修正や挿入
*今週はありません。
Ⅱ 文字や文章の位置修正
(1)67ページ、後ろから5行目…「下田半兵衛」を一文字分下げる。
*68ページ、5行目「弥一郎」及び後ろから1行目「下田半兵衛」の位置と揃えます。
<修正が不必要と判断した事項>
(1)76ページ、後ろから8行目… 「実々」は、「実者(じつは)」と読めないだろうか。やはり「げにげに」なのだろうか。
*くずしの形と意味からも、「実々」と解読するのが適切と考えます。(下図参照)
「実々(実実)」は二通りの読み方があります。「じつじつ」と「げにげに」です。「まことに。うたがいなく」という意味です。意味を考えると、どちらに読んでも間違いとは言えないです。(下記参照)
『古文書用語辞典』には「じつじつ」しか記載がないので、当時は「じつじつ」と読むのが一般的だったのではないかと推測します。「げにげに」は話し言葉として使用されていたように思います。文書中では「じつじつ」と読むのが適切と考えます。
「…実々内損相立…」の意味は「…まことに(本当に)内部で損失が生じ…」ということです。
【実々】(じつじつ)まことに。疑いなく。(『古文書用語辞典』新人物往来社)
【実実】(じつじつ)(「に」を伴って用いることもある) まことに。疑いなく。実に。
【実実】(げにげに)(副詞「げに」を重ねたもの)①「げに②」を強めたいい方。なるほどなるほど。たしかに。ごもっとも。②「げに③」を強めたいい方。本当に。(『精選版日本国語辞典』小学館)

<ご質問に答えて>
(1)65ページ、後ろから2行目… 「下田半兵衛他出に付」の「他出」について。「他出」とは どんな時に使うのか。辞書によると、「よそへ出かけること。外出。他行」とある。 ちょっと出かけるくらいで、正式な書類に このように記録するのだろうか。
*代理を立てる理由としては、「煩ニ付(わずらいにつき)」が一般的に使用されています。病気で代理を立てるということです。この場合も本当に病気だったのかは疑問です。本当の場合もあったでしょうが、ほとんどは建前上の理由だったと推測できます。
現在だったら「代理人選任届の提出」とか「診断書添付」等の条件が付くかも知れません。当時は緩い社会だったと推測します。役所も村も互いにわかり合っていたのではないでしょうか。形式が整っていて、理由が明確であれば良かったのではないかと思います。「なれ合い」「まあまあ」の要素が含まれていた社会であったとも言えます。このことがあったから、世の中がうまく動いていたのかも知れません。訴訟や願いの該当者の代理が簡単に認められず、該当者全員が出席したりしなければならないとしたら、村の生産活動等が円滑にいかなかったことでしょう。
今回の理由は「他出ニ付」です。この場合も下田半兵衛が実際に外出していたかは疑問です。改革組合の大惣代として多忙な日々を過ごしていたでしょうから、実際に外出していた可能性もありますが、単なる代理を立てる理由付けと考えられます。
それでは、なぜ理由を「煩ニ付」としなかったのでしょうか。該当文書の作成は「安政5(1858)年5月」です。この時期は「富潤」が名主見習として、名主の仕事を学んでいた時期です。当主の「富宅」は多くの名主の仕事を「富潤」に任せていたことでしょう。この時点では「富潤」を名主にするのは時期尚早と考えていたと推測します。「煩ニ付」との理由をつければ、名主の進退に関わってきます。従って、進退に関わらない「他出ニ付」との理由にしたのではないかと推測します。前に記載したように、合理的な理由と形式が整っていれば、厳しく精査されない社会であったと言えます。
なお「富宅」は万延元(1860)年7月7日に亡くなっています。該当文書が記載された安政5(1858)の2年後です。それまで当主として「富潤」が一本立ちできるように見守っていたのではないでしょうか。(下図参照)
