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『訴の二』3校
表紙・凡例・目次・1ページから22ページ
3校の第1回校正にご協力いただき、ありがとうございました。注意して修正したつもりでも、見落としが多数あり、恥ずかしい限りです。ただ皆さんのお蔭で、次第に正確な翻刻になっていくことを、うれしく思っています。3校の第2回校正も、よろしくお願い致します。
<皆さんからご指摘いただき、加除訂正を行う箇所>
(1)ⅳページ 目次裏 上段6行目…「…絵ニ付…」の「ニ付」を「符」に修正します。
(2)ⅳページ 目次裏 下段1行目…「82」を「83」に修正します。
(3)ⅳページ 目次裏 下段3行目…「…御奉行所江被召出候事」の「召出候事」を次行に改行し、「85」の数字も次行に改行します。
*目次は、原文書の目録通りの文字配列で改行することを原則にしています。
(4)4ページ、2行目…「…御書付…」の「書」を「墨」に修正します。
(5)4ページ、4行目…「…絵ニ付…」の「ニ付」を「符」に修正します。
(6)18ページ、7行目…「…取斗…」の「斗」を「計」に修正します。
(7)20ページ、2行目と5行目…「…取斗…」の「斗」を「計」に修正します。
<加除訂正が不必要と判断した事項等>
(1)ⅳページ、目次裏上段5行目…【三七】の文章では2行の文章を1行に整えているため、「之事」を前行に続けたらどうか。
*上記(3)をご参照ください。
(2)8ページ、後ろから1行目…「一体」を「一躰」に修正する。
*この場合は、原文書が「体」ですので、そのままにします。
(3)17ページ、4行目…「天保四年巳十一月」と「年巳」は普通「巳年」なので、右側に(巳年)を記載したらどうか。
*正式には、「十二支」が先で「年」が後にきます。ただ、他にも「年」の後ろに「十二支」が記載されている場合も見受けられます。「訴の二」では、72ページに「天保十四年卯十二月廿三日」と記載されています。
私の推測ですが、元号を記載しない場合は、「巳十一月」とか「卯十二月廿三日」と書いています。その習慣があって、中には、元号を記載した場合でも、ついうっかり「月」の前に「十二支」を書いてしまったことがあったのではないでしょうか。当時の人々にとっては許容範囲だったと推測できます。従って、改めて間違いと指摘して、修正する程の必要性はないと考えますが、いかがでしょうか