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3/26のページ 公用分例略記研究会
『訴の八』2校 66ページから78ページ
2校の第6回校正にご協力いただき、ありがとうございました。
<ご指摘により修正する事項>
Ⅰ 文字の修正や挿入
(1)67ページ、後ろから5,4,3,2行目・68ページ、4,5,6,7行目…「砧(貼)」の「砧」を「貼」に修正し、右側の「(貼)」を削除。
*『くずし用例辞典』(東京堂出版)では、「砧」と「貼」のくずし用例が、下図1のようになっており、最初は原文書のくずし字は「砧」と解読するのが適切と考えました。「貼」の意味で使用されており、「砧」は誤字と判断し、右側に「(貼)」と挿入しました。
『新編 古文書解読字典」(柏書房)では「砧」と「貼」の文字のくずし用例は掲載されていません。同字典の「貝偏」の他の文字のくずしを見ると、下図2のように、「貝偏」部分が、原文書のくずしと同様と見られる例が多数掲載されています。
これらのことから、原文書のくずし字は「貼」と解読しても支障がないと判断し、修正することにしました。
なお「貼(チョウ)」の意味は下記のようになります。
【貼】(ちょう)〘接尾〙 調合して包んだ薬などを数えるのに用いる。服。
(『精選版日本国語辞典』小学館)


(2)67ページ、後ろから2行目…「硝脳」の「硝」の右側に「(樟)」と小さな文字で挿入。
*ここでは、薬の「樟脳」の意味で使われています。「硝」は「ショウ」と読みますが、「硝酸」等の言葉として使用します。当て字として使用されたと思われます。意味を明確にするために、「硝」の右側に「(樟)」と小さな文字で挿入することにします。
(3)68ページ、2行目…「同卅日」の「卅」を「廿」に修正。
*解読の誤りです。『くずし用例辞典』(東京堂出版)の用例では分かりません。『くずし解読字典』(柏書房)の用例の形や筆の流れから、「廿」と解読するのが適切と考えます。(下図参照)

(3)73ページ、後ろから7行目…「金平」の「金」を「全」に修正。
*解読の誤りです。くずしの用例比較では確定しにくいです。どちらとも解読できます。特に今回は名前ですので、文章の意味上から判断することも難しいです。名前として「金平」も「全平」も、あり得ます。(下図1参照)
『公用文例略記 訴の八』の、「金」と「全」の文字の記載例を調べました。(下図2参照)記載例から、該当箇所は「全」と解読するのが適切と判断できます。くずしの形の判断目安は、「金」は横棒が一本多く記載されています。


(4)77ページ、後ろから9行目…「尚又」の「又」を「亦」に修正。
*解読の誤りです。原文書の該当記載文字は、にじみがあり形が不鮮明です。くずし用例の比較からは、「亦」と解読するのが適切と考えます。(下図参照)

Ⅱ 文字や文章の位置修正
(1)66ページ、後ろから7行目…「死失」を一文字分下げ、「死失」と「四人」の間の空白を削除。
*可能な限り、原文書の配列に近づけます。
(2)66ページ、7,8行目…「午八月五日ゟ」「同九月三日迄」を2行を、「武州多摩郡」の上に配置するように修正。
*可能な限り、原文書の配列に近づけます。
(以下、66ページから68ページにかけての、同内容の文字配列は、同様に修正します。)
(3)67頁、2行目…「同州 同郡」の「同州」と「同郡」の間の空白を削除。
*原文書は空白がありますが、他例から「同州同郡」と続けるのが適切と考えます。
(4)72ページ、10行目、11行目…10行目と11行目の間を一行分詰める。
*原文書はページ間の空白があります。そういう意味では、解読文の現在の行の位置関係が適切です。ただ、これまで役職や氏名等の連続記載は、ページ間の空白を考慮せず、間を空けずに記載してきました。今回も同様の措置としたいと考えます。
(5)73ページ、12行目、13行目…12行目と13行目の間を一行分詰める。
*上記と同じ理由です。
<修正が不必要と判断した事項>
(1)67ページ、後ろから1行目…「〆」を一字分上げる。
*原文書で「〆」は「硝」の字と、ほぼ同位置にあります。したがって、そのままにします。
<ご質問に答えて>
(1)68ページ、後ろから8行目… 「十五貝」の「貝」は数える単位なのだろうか。貝殻に入れるのだろうか。
*その通りです。江戸時代や明治時代のみでなく、物資不足時は、昭和30年頃まで、膏薬を貝殻に入れていた例もあるそうです。
【貝・介】(かい)〘名〙
⑨(接尾語のように用いて)
㋑貝殻入りの膏薬などを数えることば。㋺(薫き物を二枚貝に入れて贈答したところから) 薫き物を数えることば。(『精選版日本国語辞典』小学館)
【薫き物】(たきもの)名詞…沈(じん)・白檀(びやくだん)・丁字(ちようじ)などの種々の香木の粉を調合し、蜜(みつ)で練り合わせて作った香(こう)。(『学研全訳古語辞典』)
「…江戸時代に遡ると、塗り薬の代表的なものは「膏薬」です。富山売薬では他国へ販売するため、製薬や取扱いが比較的容易な丸薬や煎じ薬が多く生産されていましたが、膏薬も売薬には欠かせない薬でした。薬草などを煮詰めて製造する粘りのある煉り薬で、主に貝殻に入れて販売されていました。…」(「富山市民俗民芸村ホームページ」より)
「…貝殻容器が使われたのは戦争中~戦後にかけての物資不足のためと想像されますが、昭和30年頃までは木更津の蛤漁師より貝殻を取り寄せて使用していたとのことです。…」(「北多摩薬剤師会ホームページ」より)
*下の写真は出典は明示しませんが、ホームページ上から借用しました。



<参考資料>
今週はありません。